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千差万別を実生活に

ウマ

休みの日は、できるだけ良い空気を吸う・運動をするという事を心掛けています。

今回は、息子たちの希望もあり乗馬体験ができる山へ行ってきました。息子たちはいまだゼルダばかりやっていますので、馬に乗る=リンクという事で。数年前にも1度来ている場所ですが、その時よりも謎の臨場感(二次の臨場感を三次で)を感じていたようです。

数年前に来た時は、小高い場所に登るだけで息が上がって「ここはキツい場所だな」という印象がとても強かったです。しかし今回、まったく息が上がらない。日頃たいした運動はしていないので体力?筋力?はほぼそのままなのですが、途中で止まりながらでないと呼吸が苦しくて進めなかった上り坂を普通に歩けるようになったという事は、肺か赤血球か毛細血管かその辺りが良い感じになってきているのではないだろうか?筋力をつけたらもっと捗りそうです。

世の中を良くするためには、身体に良い商品を作ってくれる会社が大きくなる・そういう人が儲かる事が最も望ましいんですが、どんな食生活や生活習慣でも健康寿命が長い人も実際におりますので、私のような健康的な生活を世の中の人全員にオススメしたり強要したりすることは正直やりたくないですね。健全な世の中を目指す価値はありますが、現実的じゃないんですよ。それは諦めとは少し違って、世界中には色々な人がいるからそれを「知」ありきで管理しようとするのが無理な話だという事です。理想と現実ですね。ある程度の現実を受け入れて進むと、この世も少しだけ楽に感じます。逆に、どうすれば元気になれるのか?を知りたい方にとって、私の実体験を綴ったこのブログが少しでも何か参考になれば幸いです。

私のように「子供が私を必要とする間だけ元気でいたい」という人もいれば「不老不死欲す」という人もいて、「太く短く生きる」という人もいる。単純に「死ぬのコワイから生きたい」というパターンもある。だから何が正解も不正解も無く、それを定めてしまうと必ずと言っていいほど争いが起こる。だから薬を使って病気が治らず亡くなった方のことも、薬を使わず亡くなった方のことも、周りがとかやくたられば論を持ち出して批判する権利は無いですね。逆に、薬を使おうが使うまいが病気が完治して元気になった人たちには「すごいなよく頑張ったなあ」で良い。

例えば私なんかは、幼少期からの根深いパニック障害の元をどうにかするために年齢退行療法やってみよと思ったわけですが、アメリカ他諸外国のようにセラピーというものが身近に無い日本人にとっては、その重要性が分り辛い・伝わり辛いものなのかもしれんなと感じます。ITPひとつとっても原因が様々あるのに、単に生活習慣を変えたら難病が治るとは私的には言い切れないです。

ひとつだけ言えるのは、親を含め子供の育つ環境によって生涯苦しむ精神疾患・大人になってからの大病・間違った人生の選択を繰り返すという事はあり得ましたという事です。悪い洗脳が原因で今があるのなら、良い洗脳で書き換えて予後を平穏に過ごす。これまで沢山の本を読んだり沢山の人の思考を参照したりと工夫してきましたが、時には人の力を借りてもバチは当たらないんじゃないの?

どんな生き方も、どんな宗教も、「ウチはこんな内容だからとても良いし正しい!だから皆同じ手法をとるのが正解!」と主張するより「ウチはこんな事をやっていますよ、こういう考え方は参考になるかもしれませんね」という「押し付け」ではなく「単なる紹介」程度におさめておけば、参考にしたい時に参考にしたい人が参考にするから便利なんだろうな。

科学も発展途上だし人間も発展途上、尚且つ人ひとりひとりも死ぬまで発展途上なので、今自分が分かっている事が全てではないと常に念頭に置いておくだけで傲慢になる道は避けられそうです。

ちなみに私が今の生活スタイルをあまり崩さない理由は、いちいち不安になりたくないからです。

ここまで健康的な生活を送っていて、血小板数値以外の部分は日に日に目に見えて健康化している。そんな中で紫斑がパラっと出ても「悪化はしてないからいいや」「単に免疫力が上がったからだろう」と前向きに捉えられますし、万が一症状がめちゃくちゃ悪化しても「ここまでちゃんとしていても悪化するなら運命だから諦めつくわ」と後悔しなくて済むからです。私は特に物事をうしろ向きに考える癖がまだ残っていますので、たいした事がない症状でも不安になる事が多かった。自分のそういう性格を知っているからこそ、心に負荷がかからないような生活を続けています。ただし、年に1度の旅行の際は好きなものをガッツリ食べるぞと意気込んでいるので、その日を楽しみに今日も1日がんばるぞい ٩( ‘ω’ )و

 

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