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本物の自己肯定感

転生したら青肉まん

自分が苦手とするジャンルの人は「自己中」。これに限る。

中でも、表立って&自身では自覚していない潜在的な弱さを持つ自己中が、自分のプライドを守る為なら相手がどんなに傷付く事でもバンバン言いますよという類の自己中が心から苦手です。

ここ最近、止む無くそういった人と会話をする必要性があったのですが、案の定終始「これはヒドイな」という感じでした。

過去多くの人々と接触してきた結果、どんな短所があっても長所を見つけられる(その落差が激しくない)人達がほとんどだったのですが、至極稀ですが短所が多く大きすぎて長所が微塵も見えないというパターンを持っている人もいる。常に人の短所と長所は表裏一体であり、例えばしょっちゅう遅れてくる人は短所が遅刻で長所がのんびり屋で癒し系だったりという事があります。短所が人道を外れすぎている場合ですと、その裏にある長所までもが自己中である事が多いです。

短所:事実を無視してある事ない事相手を責めても心が痛まない(でも自分が言われると烈火の如くキレる)
長所:自分だけが傷付かない人生を送ることができる

で、そういった方と会話をするとその後数日間呪われたかのように身体が重くなるわけです。

前回も書いた言霊がまさにそれなんだと思いますが、相手を言い負かせてやりたい、自分が勝ちたいという自己中な思考から生まれる言葉はとてつもない悪意に変換されてぶつけられます。仮のその場では自分が論破できたとしても、何も得られるものはありません。むしろ大きなマイナスです。

事情があって止む無くの遭遇だったのですが、その結果自分が無意識に落ち込んだり家族に心配や迷惑をかけたり、仕事が捗らない等があってはいけないな。と、同じ事がある度に毎回そう思って無理に奮起するというのが毎度のパターンでした。

しかし、今回今までとは明らかに自分の中に違いが芽生えている事に気付きました。

悶々とした気持ちや重さを無理にどうにかしようとするこの思考こそが、今の病気の根源となっていたのだと。過去読んだ本で散々学んでいたのに、自分を赦すという事がどういう事なのかいまいち理解できていませんでした。

呪いの言葉によってダメージを受けたのなら、それが癒されるまでは自由に動けば良い。何にも縛られる事なく、思いついた事とやりたい事だけをやればいい。それが映画でも海外ドラマでも楽器でも、大掃除でも好きなジャンルの仕事でも何でも。ちょっと道を踏み外したくらいで転覆するような事は自分には無い、その為に地盤を強化して生きてきたのだから。という具合です。

子供の為、病院に行く為にしか取らなかった物理的且つ精神的休みを「自分の為に取る」。ただし、休みだから仕事をしないと決めるのではなく、仕事をしたいという気になったなら素直に取り組む。平日にそれをやる事に意義がある。催眠療法を行ってから、自分を大切にする方法というよりも、自分を大切に思う心の持って行き方が明確に分かるようになりました。そして、その選んだ方法に対して罪悪感を抱く事なく心底「これでいい」と思えるようになった。

「平日だからどんなに心身が重くても仕事はやらないといけない」という呪縛は、一人暮らしフリーター時代の「1日バイトを休めば生活が危険水域に達する」という経験から刷り込まれたものであると思います。今は「家族」という支え合う4人がいるのですから、せっかくなんで少しだけゆっくりさせてもらいます。

相当気の合う友人も最近嫌な事があったようです。彼女と私は嫌なことが起こるタイミングが被る事が多く、その度にお互いズタボロの状態で励まし合っています。家族以外でそういった関係性を築ける友人がいる事は私にとっては奇跡的な事なので、彼女と連絡をとった後は常に「出会いに感謝」の念を抱いています。

冒頭で書いたその呪い的な言葉をうけた日ですが、同日の夜に真逆のタイプの方(仏に近い)とお話しする機会があったのでそこでもまた救われた感はありました。大きなマイナスが来るとプラスの作用も働くようになっている不思議。

なんとなく神社に行った方が良い気がするので、今日は氏神様のところへ行ってきます。

 

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